肌色はキタナイ色!?

ところで、肌色は本当に肌色か?

"パッと目を惹くキレイな色ほどアブナイ"とは、ナチュラルメイク時代によく言われたこと。

キタナイ色のほうが失敗がないゾという意味だったが、キレイ色が主役のモードメイクの流行で、事情はだいぶ変わった。

でもこの掟、今ファンデーションの色選びにそっくり当てはめてみてほしいのだ。

ソニアのパウダーファンデーションの01番を初めて見た時、エッと思った。

くすんでる。

何となくグレーっぽい。

なぜこんな色を?と正直思ったが、塗った瞬間、理由がわかった。

肌色の生々しさがスッと消えるのです。

もっと言えば、肌色が上品になるのです。

今までのファンデーションにはもちろんなかった仕上がり、ちょっとした驚きだった。

人間の肌色ほど表現が難しい色もないと言われるが、絵を描く人に聞いたら、澄んだ肌色に黒の絵の具をほんの少しだけ混ぜるという。

たちまちにごるから、ほんの少し。

これが絵の品格となる。

そもそもが澄んだ彩度の高い色は、顔の上で上品になりにくく、いわゆる中間色ほど顔に品格を生むのは周知の事実。

肌色だって同じなのだ。

今のモードメイクは肌色の生々しさを殺すのが決め手。

一方のナチュラルメイクもいかにウソのない肌色を作るかがカギ。

ここはひとつキタナイ肌色で決めて、ほくろ レーザー 治療をしてみよう。

色なんて、最初からみんなウソつき

頭にたたきこんでおきたいのは、そもそもメイク色はウソをつくためにあるのだということ。

一色一色にぜんぶ何らかのたくらみがあり、見る側はそれにまんまとはまる。

つまり目の錯覚です。

ある天才は、黒ぶちの大きめのメガネをかける時は、黒赤などのダークな口紅を塗り、もうひとつのお気に入り、乳白色のフレームの日は、口紅を白ピンクにする。

私だってそうするわよ、色をコーディネイトしてるんでしょ?と言う人は出直してもらいたい。

色合わせじゃない。

メガネとの重量のバランスをとっているのです。

色にも重さがあります。

同じ形、同じ大きさで書かれた箱の絵があるとしよう。

片方はダークな色、もう片方は淡い色をしてる。

たぶんダークな色の箱のほうがずっと重たそうに見えるはず。

まさに色のウソです。

つまり彼女は、黒ぶちのメガネの重さで重心が上に行きすぎないよう、重たい口紅の色で、重心を下におろそうとしたのである重さだけじゃない。

前にポンと出てきて広がる色、奥へひっこんで縮こまる色、やせて見える色、太って見える色、おっとり見える色、きつく見える色、全部ウソ。

だからあなたも思い切りウソをつこう。

化粧やほくろ 除去とはそもそも上手につくウソ。

色でウソをつけたら本モノです。

美容の御利益


いわゆる"会話術"の世界でも、「否定形が多い人間は、他人から愛されない」と言われる。


「でも」とか、「そうじゃなくて」などという言葉で、会話を始めちゃいけないということだが、化粧品もその"良し悪し"以前に、否定形でしか化粧品を表現できなくなると、女は愛すべき女にはなれないのじゃないか。


以前、後ろから歩いてくる女子高生の会話を聞いていてビックリしたことがある。


ほんの一、二分の会話の中に、「サイテー」と「ダセー」が二十回くらい出てくるのだ。


もうほとんど否定形の固まりのような会話と言っていい。


いくら技術が素晴らしくても、そんな言葉を使いながらほくろ 除去やエステをやっちゃいけないし、受けてもいけないのです。

非難するのは無意味

化粧品はこうアブナくて、こうヤバくて、こんなにウソつきだから、せいぜいダマされないように気をつけてくださいヨ・・・・・みたいなスタンスで書かれた記事を読んだらどうでしょう。


たとえぼ、大好きなお肉がちっともおいしく感じないのは、言うまでもなく"狂牛病"疑惑のせい。


根拠なくアブナいかも・・・・・と思ったとたん、"血もしたたるレア肉"にもちっとも感動できなくなってしまうのは、みんな同じだと思います。


だから少なくとも、化粧品に対し、あらゆる"ぬれぎぬ"はきせたくないと思うのです。


それは、化粧品のためではなくて、女性のため、肌のため。


そして、化粧品やほくろ 除去のそれぞれの良いところを、ちょっと大げさにほめてあげる。


するとそれを使うほうも使われるほうも、気をよくして予想以上の効果を生むことになるかも・・・・・とも思うのです。

ホクロ

もしもあの女優が執拗にほくろ レーザー治療で全てのホクロを取らなければ"死"にまでは到達しなかったかもしれないと思います。


ホクロなんて別にあってもよかったのに。


そこまで必死にとることは無かったのに・・・。


なんだかそのことが悔やまれて仕方が無い。


完璧な美しさを求めた女が、それをひとたび手に入れてしまうと、その人にはもう先がない。


だから、女は完璧になっちゃいけないのです。


ホクロなんて、あってもぜんぜんいいのです。


だって、もともと「美しさは絶対じゃない!」し、別の願いを叶えてはくれないのだから。


ま、悪性のは取った方がいいけどね・・・。


人並みはずれてキレイ

一体私は今まで何を見ていたのでしょう。


それに初めて気づくまでの三十分間、ずっと彼女を見続けていたのに。


"よーく見ればキレイ"というのではない。


人並みはずれてキレイなほくろ 除去した肌なのに、向かい合って座っていながら、それにぜんぜん気づかなかったのです。


この時思ったのは、『彼女は、せっかく磨きこんだキレイな肌をムダにしている』ということです。


素肌がこんなにキレイなのに、人がそれに気づかないのは、何かが邪魔して気づかせないのか、気づかせる何かが足りないのか・・・・・どちらにしても、この人は素肌の美しさを、自分自身の美しさ、存在の美しさにまるで結びつけていないということだった。

超コスメフリーク

化粧品やほくろ 除去にものすごく詳しい、まあ要するに超コスメフリークであるという女性を取材することになった。


顔を知らないその人を見つける目印は、腕にかかえたある雑誌。


雑誌をかかえた人はいたのだが、明らかに違う・・・・・そう思ってキョロキョロしていたら、相手のほうから声をかけてきた。


なんと、明らかに違うと思ったその人だった。


この時、痛感・・・・・コスメフリークは見た目ではわからない。


そして、取材はすすむが、彼女のスッピンの顔に、コスメフリークである痕跡は、やっぱり見つからない。


しかし三十分以上もたった頃、ハッとする。


彼女は本当はじつにキレイな肌をしていたのです。

命がけの駆け引き

もし「○○屋の旦那は、○○太夫にふられた」なんて噂がたったら経済力は疑われるし、ヤボのレッテルを貼られるんだから、お客も真剣。

おとなのオトコとオンナの優雅なかけひきは、実は命がけだったんです。

たとえば、芸者、かむろ、女中衆がズラリと居ならぶ席で、お客があやうく恥をかきそうになったら……。

「このあいだ奈良に行って、はじめて鹿の鳴き声を聞いたよ」と旦那がおっしゃる。

ところが鹿が鳴くなんて話は遊廓の女は誰もしらない。

ひょっとして旦那は何かほかの動物の声を聞き違えたんじゃないかしらと座が気まずくなっちゃった。

そこでおいらんは機転をきかせ、百人一首の中には「おくやまにもみち踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき」という歌があるから、と女中たちに教えてやる。

「あなたたちは、百人一首も知らなかったの?」―と。

おいらんだって鹿が鳴くかどうかはわからないけど、ほくろ レーザー 治療たけじゃなくて、ちょっとした「教養」があれば、お客に恥をかかせずにすむわけ。

安売りしない女

なにしろお客は、莫大なお金をかけても廓に通おうという粋人(おいらんを買うには年に三千万円くらいは必要)、ほくろ 除去して身に付けるハンパな「お嬢さん芸」なんか、とてもじゃないが恥ずかしくって見せられない。

だからおいらんは、和歌でも書道でも踊りでも、すべて家元級にこなせたんです。

だって、どんな趣味を持つお客がつくかわからないんだもの、「碁でもうとうか」と言われるかもしれないし、「近ごろの能狂言は」という話になるかもしれない。

それをすべて心得てたんですよ、おいらんは。

だけど、そんじょそこらの客には体どころか芸も見せなかったし、たとえ大金持ちの旦那でも、ヤボなヤツは相手にしなかった。

よほどのことがないかぎり、どんなに名手でも踊ったり唄ったりもしない。

お座敷芸が目あての客は、芸者かたいこ持ちを買えばいいのだから。

お客のほうも、おいらんをくどくために芸事に励んだ。

高いお金をかけて、むしろお客がおいらんのゴキゲンをとってたんです。

女の中の女!

三食ヒルネつきのためにほくろ 除去して結婚(つまり正当なセックス)する女性より、はるかに格が上なのです。

お大尽が全財産を犠牲にしても買いたいと思うほどの女性。

数十年コツコツとためた貯えを、おいらんとのたった一夜のために、すべて投げ売った男だってたくさんいるはずです。

姿かたちが美しいのはもちろんだけれど、見かけだけではおいらんにはなれない。

なにしろ、何百、何千人と遊女のいる廓の中で、「太夫」(いわゆる「おいらん」)と呼ばれるエリートは十人から二十人だけ。

歌舞音曲、茶道、華道、書道などの「女のたしなみ」のほかに、囲碁もできれば、俳句や和歌も詠む、『源氏物語』などの古典も修めているという博識多才ぶり。

貴族や大名、大商人などの相手をつとめるためには、あらゆる趣味・教養に通じていなければいけない。