どんな時代、どんな場所でも

だから魅女は、どんな時代、どんな場所でも「旬」。

「私、一〇〇年前のヨーロッパに生まれてたら、絶対"いい女"といわれてたはずヨ」「少し早く生まれすぎたのヨ。

もし、ほくろ レーザー私があと二十年おそく生まれてたら」なんてのは、魅女とはいえません。

いま、このときに光り輝いていて、そしていくつになっても「おいしい女」が、魅力的な女だといわれるんです。

ファッショソなんて、十年後にはどうなってるか。

いま最先端をいくファッションだって、十年後にはきっと「恥ずかしい」。

おいらんは女の中の女。

最高の女だーというと、「え!おいらんって遊女でしょ?売春婦じゃないの。

それがどうして……?」と、いぶかる人もたくさんいるでしょうネ。

でも、おいらん、太夫と呼ばれた女性たちは、街角の娼婦とはぜんぜんちがう、「松の位」の女たちだったんです。

彼女たちはセックスだけを売ってたわけじゃない。

自然な味で

逆に、あの時代に、たとえ「非国民」といわれようと戦争に反対した人々は、胸を張って堂々と告白できる。

「私は抵抗したために、獄につながれたこともあります」と。

いろいろなシガラミはあったにせよ、軍国婦人は「自分」よりも「時代」や「場所」にとらわれてしまった女性だと思います。

あの時代の閉鎖的な地域では、ああいう生き方がいちばん楽だったーといっては、言いすぎでしょうか。

ある限られた時代の、限られた場だけでもてはやされる女性は、その時代が終われぽ笑われるだけです。

そして次の時代に対応できません。

なぜなら、「自分」というものをシッカリ持ってはいないのですから。

その時、その場のふんいきで流されているだけなんです。

魅力的な女性は、いつでもどこでも魅力的なはずですよネ。

ホンモノのほくろ 除去した魅女に、ハヤリスタリはありません。

人工的にとってつけたのではなく、自分自身の自然な味、ウマ味を「風味」として、かもし出しているのですから。

流行りの女

キャリア・ウーマン、ぶりっ子、翔んでる女、未婚の母、清純派、セックスシンボル、職業婦人、軍国婦人……と時代は下がっていく。

第二次世界大戦前夜から戦後まで、軍国婦人がハヤリのタイプだったのです。

映画やTVで観ますよネ、かっぽう着に「○○婦人会」のタスキがけ。

ひっつめ髪で街頭に立ち、「パーマネントはやめませう」とか「華美な服装はひかえませう」なんて書いたビラをくぼったりしたんです。

もしパーマをかけた女性が通ったら、ハサミで髪をちょん切ったりしたんですって。

ホソトですヨ。

ほくろ 除去なんてとてもとても。

当時は、そんなおっかないオバサンがナウい女性だったんですネ。

いま、そんな。

バリバリの軍国婦人がいたら、ほとんどの人は相手にしないでしょ。

そして、「私はあのころ、かっぽう着で数寄屋橋に立っててネ、パーマをかけた女がいたから髪を切ってやったよ」と、自慢げに話す人もいません。

むしろ軍国婦人だったことをかくしているはずですよネ。

ノーブランドで行こう!

女の魅力、いえ、人間の魅力って、裸になっても、どれだけ価値があるかで決まるんじゃないかナ。

ブランド(血統、収入、身分、学歴、肩書なども含めて)をぜんぶはぎとっても、なお値打ちのある人が、ほんとうに魅力のある人、つまり「ノーブラ(ンド)」で通用する人です。

「ノーブラ」で勝負するには、「ほくろ 除去 レーザーした自分」というブラソドを持たなくては。

そのためにマナーが必要なんです。

「MANNERMAKESAMAN」イギリスのことわざです。

「マナーできまる男の値打ち」。

女もそうだと思います。

どんな国土にもマッチできる、人間としての風味を持つー。

だったら「自分」以外のブランドなんか、なにもいらないんです。

十年くらい前のファッション雑誌を開くと、見てるほうが恥ずかしくなったりして。

あのころは、こんな服がはやってたんだ、こんなメイクをわたしもしてたんだーってなぐあいに。

ファッションだけでなく、「女」にもハヤリスタリがあるらしいネ。

誰もが…

「おいしかった」の代わりに、お客はわざわざゲップをしてみせなきゃいけないという国もあれば、ゲップなんかオナラより恥ずかしいという国もあるんです。

それがその国の風土で完成されたマナーだから。

風土にマッチしたマナーには、上品も下品もないはず。

上品か下品かは「人」で決まるんです。

下品な人が上品ぶってもマンガでしかないし、上品な人が下品ぶるのは、場合によっては、必要なマナーですよネ。

マナーを身につけていない下品な女ほど、ブランドもので武装さえすれぽ、「高級な女」に見えると信じこんでるみたい。

でも、高級ブランドで身をかためても、誰もが上品に見えるワケじゃない。

仮に、ナソトカブランドを愛好してるAさんがステキでも、それはほくろ 除去した彼女がもともとそれだけの価値を持ってる女だから。

ブランドのせいじゃない。

だって、色白の人が着て映える服を、色黒の人が着て似合うと思う?

臨機応変に

「お作法」では「正しいナイフとフォークの使い方」を教えてくれるけれど、たとえば同席した目上の人が、正しくない使い方をしたら、あなたはどうするかナ?

「食事の途中で置くときは、ナイフはこうして、フォークはこう向けて……」と、みんなの前でシッカリ教えてあげるの?

それとも見て見ぬふりをする……?

コッソリ耳うちするテもあるし、目で合図することもできるかもしれない。

どんな席で、どんな食事で、あなたとその人がどんな関係で、どんな位置に座ってるか……その他モロモロで、対応法はさまざまですよネ。

このモロモロを適確に判断して、相応の立居ふるまい、態度、ことばつかいをとることが本当の「マナー」だと思います。


もしインドで食事に招かれたら、あなたはあぐらをかいて手づかみでカレーを食べなければならない。

たとえほくろ 除去した美しい肌を砂の地べたにつけてでも、です。

それがインドの風習ですから。

ここでナイフとフォークを要求すれば、たとえ「正しい使い方」で食べたとしても、それはマナー違反ですよネ。

上品のマナー

それが「マナー」でもあったわけです。

みんなが「マナー」を守ってたからこそ、「高級」や「名門」に出入りすることが、ステータス・シンボルになりえたんですよネ。

だって、風格を身につけた人たちだけが集まる場ですもの、ふんいきにそぐわない人は、恥ずかしくって、とても出入りなんかできなかったんです。

いまの「高級ナントカ」や「名門カントカ」はマナーがさびれて、ちっとも高級でも名門でもない、ただの「ブランド」ではナイカ-と、あの旧家のオバサマなどはグチってみたくなるのです。


ナイフやフォークをじょうずに使う、赤ちゃんのいる席ではタバコを吸わない、人前に晒す肌をほくろ レーザー 治療するっていうのばかりがマナーじゃありません。

もちろんそういう「お作法」もたいせつだけれど……。

「マナー」とは、三つの風でいえば「風味」にあたるものだと思います。

人間の「味」や「香り」でしょう?

立ち居ふるまい、態度、ことばつかい……などなど。

普通に成り下がる?

「このごろは、軽井沢もすっかり……」と言いかけて、ある旧家のオバサマはことばをにごしました。

たぶん、「フツウの観光地になりさがってしまった」と、言いたかったんでしょうネ。


昔の人には旧軽井沢に別荘を持ったり、帝国ホテルで気軽に食事をするのが、ある種のアコガレであり、ステータス・シンボルでありました。

そして立派な病院でほくろ 除去することもハイソなことだった。

「カルイザワ」「テイコクホテル」のことばの響きは、今の「パリ」や「ニューヨーク」より、もっともっと甘美なものだったんじゃないかナ。


カルイザワもテイコクホテルも、ぐっと庶民的(?)になったのは、みんなが「中流階級」になったから?

お金持ちがふえたからではなく、いわゆる高級リゾート地や高級ホテルが、昔ほどの格式をなくしてるのではないかと思うんですヨ。

敷居が低くなったというワケ。

リゾート地やホテルのふんいきが、「高級」でもないお客の程度につられて、だんだん……。

どんなにお金持ちになっても、それなりのマナーの心得がなければ、昔は「高級」とか「名門」を敬遠する「謙譲の美徳」があった。

適度な自信はいいもの

「どうせ私は……」

「私なんか……」

といった卑屈な態度や考え方は、事態をますます悪くするだけ。

人間、欠点のない人なんていない。

それより、鏡に向かって、どこか、たとえぽ髪の毛がきれいだとか、鼻は低いけれどチャーミングだとか、よいところをさがし出して自信につなげることです。

人間、必ずどこか一つは長所があるハズ。

そうすると心が満足して、自律神経が安定し、血行、ホルモンのバランスがよくなって、ほくろ 除去したお肌はつややかに、女らしさも増すというワケ。

適度の「自信」は「魅女」の必要条件です。


えっ?

いいところなんか一つもないって?

さがし方が悪いんじゃない?

外見がダメでも「ハート美人」ってのもありますからね。

ココロ

お手前さえ身についていれば、どんなにつまらない仕事でも、楽しく手際よくかたづけられるもの。

お金と時間と労力をはぶいて、とっても安あがりにゼイタクができちゃうワケです。

生活のあらゆる場面で、頭を使いながらイキイキと生きている人ってステキでしょ。

道に入ってる女-自分の一生を一本の道に見立て、じょうずにバランスをとりながら、その時、その時をいつでもサイコウに生きられる女-こういう人を私は"魅女"と呼ぽうと思います。

表面的な美しさだけでは、決して魅力的であるとは言えません。

私のあこがれる魅女とは、からだの中から美しく、心の中から魅力的になっているヒトのことです。


ところで、「心」といえば、これをなぜ"ココロ"と読むか知っていますか?

人の心がコロコロ変わりやすいからですって?

……たしかに、お世辞でも「ほくろ レーザーで取った肌がきれいネ」なんていわれると、とてもうれしくなって、今まで色が黒いだの、背が低いだのと劣等感にとらわれてイジイジしていたのが、コロッと変わり、自信がついてホントにきれいになってしまうことだってあるかもしれない。